無い文才と頭を使ってたまには個人的にまともな文章を。って日記じゃねぇorz

僕には、絵が描ける・作曲が出来る・プログラムが組めるetcといった創作活動に必要な技能を持ち合わせていません。努力した事もありません。
また、他人に尊敬される様なスキルを持っている訳でもなく、頭がいい訳でも、外見がいい訳でも、運動が出来る訳でもありません。
僕が生きても死んでも世の中には全く影響はありません。
むしろ二酸化炭素を排出しなくなるあたり地球にとっては好影響です。
世界が100人の村で構成されているならば、僕は人間にもなれない路傍の石ころに違いありません。


過去に一度、ゲームのCGを用いて数分程度の動画を作った事があります。しかし、ソフトの機能を十分に理解せず、十分に活用出来ず、センスの欠片も見られない中で完成したそれはとても上手い作品とは言い難く、結局は自己満足で完結したものでした。


そして同人活動に参加した事もあります。しかし誰にでも出来るベタを塗るという簡単な作業で、今思うと参加しているというより手伝わせて貰っている、本当は不必要な自分を仲間に入れてもらっているといった感じだったのかなぁ。とも思います。


動画作成にしても、ベタ塗り作業にしても、僕は他人が当たり前に出来る事しか出来ません。
そんな僕に、まだ方向性は決まってない真っ白な状況だけど創作活動に参加しないかと声をかけてくれた友人がいます。物理的に離れているので、交通費が必要なら出すとまで言ってくれました。今回の様に人を説得する際、お金は汚いものだけど反面、その力も大きく確実性も備えており形として最も判りやすいものです。
その安くないであろうお金を、現状では役立たずでろう自分に出してくれるとまで言ってくれています。


また「本気になっての創作活動は楽しいよ」とも彼は言いました。
たしかに動画を作る・ベタを塗るどちらも小さな活動ではあったけど夢中になれたし、楽しいもので、今の僕に絶対的に足りない「本気になる」事でした。やはり今思い返しても人生で数少ない良い時間であったと思います。何かに対して「本気になる」事は、寝ても覚めてもその事で精一杯なのだから恋愛と同じです。日々の生活の活動に対して、また恋愛に対して本気になる気が毛頭ない現在の僕は、本気になれない・本気になった末の失敗を恐れているだけなのでしょう。
大学に演劇をやっている友人がいます。彼は僕より2歳年下ですが、演劇という本気になれるモノを持っていて努力している事が羨ましく、その演劇に対する情熱は年下であろうとも尊敬の対象であります。


本気になった人の情熱は時に他人を動かします。今回誘ってくれた友人の創作活動に対する情熱も、友人の演劇に対する情熱も僕を動かしました。また野球観戦が好きな僕をプロ野球選手は毎日僕を動かしてくれます。それらの情熱に動かされた以上、今度は僕が応えなければなりません。
何が出来るか分からないけど、何も出来ないかもしれない上にもしかしたら足を引っ張るだけで終わるかもしれないけど、機会を与えてもらえる事に感謝をし、精一杯「本気になる」事が彼の情熱への応えになるのではないかと思います。


と、メッセでうまく伝える事が出来なかった僕の意思を「炉」という僕の自由な空間で精一杯。